水輪書屋について
「水輪書屋(すいりんしょおく)」は奈良市南郊の窪之庄町に位置する、築250年余、江戸後期に建てられたと推定されている古民家です。かつては大地主のお屋敷だったそうです。十数年空き家のまま放置されていたところを、2021年に歌人である私、北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし)が入手し、自宅兼アートとカルチャーの発信拠点とするべく、少しずつ準備しておりました。2022年11月からは改修工事に取り掛かり、工期一年余にして2024年春にはようやく人間の住める状態になっています。
窪之庄町は昔から奈良の都の郊外だった上、街道沿い、しかも宿場町である帯解に隣接するエリアなので、純然たる田園地帯、農村ではありませんでした。今も歴史的景観をよく保っているのですが、町家と農家が混在しています。その中で水輪書屋は「豪農住宅」に分類されます。
かつては大名行列も通ったという旧街道に面し、北側に表門を構えます。門を入ると狭い前栽(せんざい=前庭)を挟み、すぐに表玄関となります。母屋は「大和棟(高塀造り)」と呼ばれる造りの草葺きですが、恐らく昭和後期にトタン板を張られ、そのままとなっています。玄関内は裏玄関まで通り庭(土間)となっていて、右側に六間取り、庄屋格の母屋が広がります。
対する左側はかつては土間が広がり、竈のある台所、更には農機具置き場、牛小屋などだったと推測されます。私が入手した時には既に床が張られ、居住空間や浴室などになっていましたが、昭和中期~後期のスタイルで、残念ながら古い屋敷には似つかわしくない風情でしたから、思い切ってほぼすべてやり直しました。主に私の居住スペースなので原則非公開ですが、アール・デコ調の応接間(昭和初期に当時の若旦那が同志社大学を卒業し、ハイカラ趣味で改装した、というコンセプトで造作しました)は見て頂くことも可能です。 通り庭や座敷群の壁も、昭和後期に流行ったラメ入りのものだったので、全て剥し、白漆喰としました。平成生まれの若い世代は「ミッドセンチュリーモダン」として喜ぶかもしれませんが、昭和生まれの私にとっては懐かしくはあってもいいとは思えないものであり、なおかつ江戸後期の古民家には全く相応しくなかったからです。
一般的な日本の農家は田の字型の四間取りなのですが、水輪書屋は豪農住宅ですから六間あります。近世住宅なので、近代以降に広まった「中廊下式」ではなく、部屋と部屋は直接隣接し、襖や障子で仕切られています。六間のうち北側の三間は通り庭から上がって六畳の玄関座敷、八畳の中の座敷、十畳の奥座敷と連なります。かつては領主(柳生藩)の使者などのみが通される、格式ある部屋だったといいます。畳は大きな京間なので、襖を取り払ってすべてつなげるとかなりの広さとなります。イベントスペースとしてコンサート、短歌の歌会、俳句の句会、茶の湯の茶会、紅茶の茶会、講演会、映画会など様々に活用可能です。コンサートの場合、奥座敷の半分ほどをステージスペースとしても、45席程度は確保可能です。
南側の六間は通り庭を上がって掘り炬燵のある茶の間、仏間、四畳の間と連なり、奥座敷南側には部屋はなく、縁側をはさんで坪庭となっています。茶の間は売店兼事務室、奥四畳はイベント時の楽屋、控室として使います。仏間は南に連なる「ワタリヤ」と合わせてギャラリースペースになっています。
更には非公開ですが、奥座敷北側に北の内蔵、ワタリヤ西側に南の内蔵が接続します。
裏玄関を出ると釣瓶式の井戸や金魚池がある広大な中庭で、その先に裏門とその付属棟があります。裏門棟のみ昭和中期に改築されていて、歴史的建造物ではありません。また東側は酒蔵と見まごう大きな外蔵になっています。つまり北側は表門と塀、東側は外蔵、南側は長屋門となっていて、西側のみ塀で囲われているのです。奈良盆地の旧家を特徴づける「囲い造り」というものだそうで、農家ではありますが非常に防御性の高い造りになっています。
実際、窪之庄の旧家は戦国時代までは土豪、地侍だった家が多く、江戸期になって帰農し大地主、庄屋など豪農化したということのようです。
なお、外蔵はいずれイベントスペース、ギャラリー、アーティスト・イン・レジデンスなどとして活用したいと思っていますが、まだまだ先の長い計画です。中庭と長屋門棟は北夙川不可止の盟友である作家の寮美千子さんが「みなわプロジェクト」として活用する予定です。
私は生まれも育ちも兵庫県西宮市です。水輪書屋に移住する前の三年ほどは隣の芦屋市に仮住まいしました。つまり阪神間、と呼ばれるエリアです。大阪と神戸の間に位置し、明治後期から「日本で最初の郊外住宅地」として発展したところです。大正後期から昭和戦前にかけては様々な文化、芸術が生まれ、のちにそれは「阪神間モダニズム」と呼ばれるようになりました。その時代の阪神間をつぶさに記録しているのが文豪谷崎潤一郎の代表作、『細雪』です。
つまり私は戦前に既に洋風化が進んだ、大変モダンでハイカラな土地に生まれました。しかも父は英文学者、母は魔都上海で旧制高等女学校を卒業したという人でしたから、小さな頃から洋風の生活に馴染んでいました。朝ご飯はトーストと紅茶でした。「西洋骨董に囲まれて洋館に住みたい」と思っていたのに、なぜだか『八墓村』など横溝正史の猟奇サスペンスに出てきそうな純和風のお屋敷に住むことになったのですから、人生何が起こるか解らないものです。しかし歌人としては万葉の故地に住めるということは、大変嬉しくもあります。水輪書屋から車で5分も南下すれば式内社の和爾下神社があり、その境内には歌聖柿本人麻呂の一族の氏寺、柿本廃寺遺跡もあるのですから。
水輪書屋は個人住宅でありつつ、「住み開き」して様々なイベントを開催しています。また奈良市で五番目の「まちかど博物館」として2024年からスタートした帯解まちかど博物館の一員として、不定期に公開もしています。インスタグラムやフェイスブックグループで公開情報やイベント情報など発信しますので、ご確認の上ご来訪下さい。
なお、水輪書屋は元々は『車屋』という屋号でした。それは南側長屋門棟にかつて水車小屋があり、製粉業をも営んでいたことに由来する、ということです。裏門の門前を流れている小川(初夏には蛍が舞います)も車川、という名前がついています。私は今までの自宅にも甲麓庵、蘆生寓と名前を付けていたので、奈良移住に当り、その歴史を元に「水車なら水の輪だな」ということから水輪書屋と命名したのです。書屋とは「文人や蔵書家が自分の家の雅号に用いる語。正岡子規の『獺祭 (だっさい) 書屋』など。(goo辞書より)」という意味です。
※国登録有形文化財として登録予定。
北夙川不可止(きたしゅくがわ・ふかし)
1964年生まれ。市立西宮高等学校卒、同志社大学中退。歌人・コラムニスト。懐中時計と片眼鏡がトレードマークで、伯爵のニックネームで親しまれる。学生時代から近代建築と都市の歴史的景観の保存活用に取り組んでいる。著書に歌集『ぬばたま』(エディション・エフ)、『東西名品 昭和モダン建築案内・新装版』(書肆侃侃房)があるほか、『性の用語集』(講談社現代新書)など共著多数。2020~21年、月刊『中央公論』に連載。美少年をこよなく愛する耽美派のゲイで、LGBT当事者としての啓蒙、講演活動にも携わっている。愛猫家。奈良市にある築250年の古民家を取得、『水輪書屋(すいりんしょおく)』と命名し、2024年6月より居住。
一般社団法人宝塚まち遊び委員会理事
一般社団法人結婚トータルサポート協会理事
一般社団法人現代風俗研究会正会員
NPO法人J-heritage顧問
歌人としてはNHK文化センター、羽衣国際大学などで講師歴あり。